各メディアでは、毎日色々なニュースが取り上げられています。
私は昔から政治系のニュースは特に関心を持って見ているのですが
その際には必ず自分の意見を持って見るようにしています。
実は、メディアで報道されているニュースや新聞記事は、同じ話題でも報道各社によって書いてあることや、取り上げられている点が違います。
各社の思想なども反映され意見が偏りがちなのです。
しかし、若者含め、国民の多くが政治に関心が無いこともあってか
たまたま見たニュースひとつで、「ああそうなんだ」で終わってしまっていることに問題を感じます。
いまの日本の状況ではそれも仕方がない(政治的関心の低さや、与党を野党がつつくだけの様な変わり映えしない話題ですし・・・)とも思いますが
そんな状況であっても、ニュースを見て情報を得る我々にとっては
たまたま目を通した、新聞社の意見が色濃く反映された記事ひとつで
「ああそうなんだ」で、思考が停止してしまうのはとても危険なのです。
意見を持つということは、見て、考え、自分の中でひとつの結果を出すことです。
特に、今の若い人たちは遠慮がちで積極性がない人が多いと言われています。
それは、考える力の欠如がひとつの原因だと思うのです。
「なんで?」「どうして?」が足りない、その考え方が養われていないから、企業に勤めても決められた事をやるしか出来ない、機械でも出来るような仕事になってしまうのです。
これから遠くない将来、AI技術の発達により現在の仕事の8割はAIにかわるとされています。
そんな仕事では、全部AIにお仕事を取られてしまうかもしれないのです。(話が少し脱線したのでこれは次の機会に・・・話を戻します)
「ああそうなんだ」で終わってしまうのは、自分で考え意見を持つことを放棄している行為です。
つまり、一部のメディアを通じて知識だけは持っているけれど、どう思うか、どう考えるかには至っていません。
全てのニュースに自分の意見を持つ必要はないと思いますが
多くの政治・経済的ニュースの中のひとつでもよいので、とりあげられている問題に対し「自分はこう思う」と、意見を持つべきだと思うのです。
そして意見を持つ為には、その問題について詳しく知る必要があります。
今は、ニュースといえどテレビ・新聞だけではなく、スマホですぐに確認ができますし
ツイッターやfacebookなどのSNSを開けば、その問題に対し多くの人の意見を見る事が出来ます。
つまり、新聞のように細かい字を読まなくても
簡単に自分の知りたい情報、色々な人の意見にたどり着けるのです。
そこで多くの人の意見を目にして、自分の考えを改めたり、反対の意見を考えてみたり
SNSであれば、そのまま書き込んでも良いかもしれません。
人間とは本来、考え、生きていくものですから
意見をもつという行為は、我々にとって必要なことだと思うのです。
通勤時間や休憩時間など、少しの時間で出来る事です。
是非やってみて下さい。
今回は、まとまりのない内容になってしまいましたが
考え、自分の意見を持つ事の重要性について書いてみました。