利休居士伝書~気ばたらきこそ大切

「さてさて気ばたらきたる人なり。我に遣わされ候えかし。数奇を教え申すべく候。」
(訳)さてさてよく気働きができる人だ。私にください。茶の湯を教えましょう。

『茶道四祖伝書・利休居士伝書』より、千利休の言葉です。

「日本人のこころの言葉 千利休」(熊倉功夫・著、創元社)から読んでみます。

—(抜粋ここから)
気ばたらきができたと利休にほめられた人は、一体何をしたのでしょう。

あるとき、利休は奈良の法華寺へ参りました。道中、よほどのどが渇いたとみえて、寺に着くなり「のどが渇いた。お茶を一服くだされ」といいました。そこへ若い僧侶が出てきて、早速、ふつうの一杯の量より湯も多くして、しかもぬるめのお湯で茶をたててさしあげました。「これはたいへん結構だ。もう一服くだされ」と利休は頼みます。すると若い僧侶は、今度は前より熱い湯で、逆に量は少なめにしてたてました。二服目を飲んだ利休は、その気遣いに感心していった言葉がさきの「気ばたらき」です。そして続けて次のようにいいました。「自分のほうから、心の内から茶の湯になることが大事だ」と。若い僧侶をそのまま京都に連れて帰りました。

法華寺の僧侶は若いのに、なかなか人が気がつかないようなはたらきを見せました。利休の様子を見るなり、のどが渇いていてたくさんお茶が飲みたいのだろうと考えて、たっぷりとお茶をたてましたが、一気に飲みほせるように温度はぬるくしたのです。もう一杯といわれると、今度は、利休がゆっくり味わいたいのであろうと、少しお茶を濃い目にしてじっくり味わえるように熱くしたというわけです。いわず語らずのうちに、客の心を読みとって行動に移すことが「気ばたらき」です。利休はこれほどの気ばたらきができる若者を見込んで茶人にしました。
—(抜粋ここまで)

気ばたらき(気配り)とはどのようなものであるかを教えてくれるエピソードです。

「他人の心の中、胃の腑(ふ)の中まで入り込んで考えうる慈悲がなくては至誠ではない」
これはモラロジー創始者の廣池千九郎先生の言葉ですが、真理のことばは根底で通じ合いますね。

お中元の時期も(地域によって異なるようです)そろそろ終盤ですが、
「とりあえず贈っておこう」というよりも、何を贈ったら喜ばれるか、何を贈れば相手のためになるのか、
そういったことを考えながら贈り物をセレクトしたいですね。

気ばたらきの有無は、仕事の出来る人間か否か、というところでも線引きが出来そうです。

アートにゃんこ
どの道も、奥が深いにゃ。

この記事を書いた人

アートにゃんこ

2017年に突如生まれた謎の化け猫(?)「ゆるキャラグランプリ2020 ファイナル」に出場間に合わず。ゆるキャラの時代も終わっちまったぜ…。