社会問題とか労働問題といったものは、単に法律の力ばかりで解決されるものではない。例えば一家庭内においても、父子兄弟親戚に至るまで、みな自分の権利や義務を主張して、何から何まで法律の裁きを仰ごうとすれば、どうなるだろう。皆の気持ちは険悪となり、人と人との間に壁が築かれて、事あるごとに争いが起こり、一家が仲良く一つにまとまることなど望めなくなってしまう。
私は、富める者と貧しい者との関係も、これに等しい面があると思っている。資本家と労働者との間には、元々家族的な関係が成立していた。ところがいま、法を制定して、それによって取り締まっていこうとしている。これは一応もっともな思いつきではあるかもしれないが、これを実施した結果が果たして当局の理想通りに行くものであろうか。
資本家と労働者との間には、長年にわたって結ばれてきた一種の情愛の雰囲気があった。ところが法を設けて、両者の権利や義務を明らかに主張出来る様にしてしまえば、自然の成り行きとして、せっかく両者の関係にスキマを作ってしまうことにならないだろうか。
ためしに私の希望を述べるとするなら、法の制定はもちろんよいが、法があるからといって、むやみにその裁きを仰がないようにして欲しいと思っている。もし富める者も貧しい者とともに「思いやりの道」を選び、そして「思いやりの道」こそ人の行いをはかる定規であると考えて社会を渡っていくなら、百の法律があろうと、千の規則があろうと、そちらの方が優れていると思うのだ。
言葉を換えれば、資本家は「思いやりの道」によって労働者と向き合い、労働者もまた「思いやりの道」によって資本家と向き合い、両者のかかわる事業の損得は、そもそも共通の前提に立っていることを悟るべきなのだ。そして、お互いに相手を思いやる気持ちを持ち続ける心がけがあってこそ、初めて本当の調和が実現できるのである。実際に両者がこうなってしまえば、権利や義務といった考え方は、無意味に両者の感情にミゾをつくるばかりで、ほとんど何も効果を発揮しないといってよいだろう。(P.151-156より抜粋要約)
2021年のNHK大河ドラマの主人公、そして2024年からは福沢諭吉に代わって1万円紙幣の肖像画となる渋沢栄一。500を超える企業・団体の設立に関わり、日本資本主義の父とも称される渋沢栄一が『論語と算盤』を著したのは今から104年前の大正5年(1916)。
今日は『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一・著、守屋淳・訳 ちくま新書)から「思いやりの道」に関する部分を抜粋してみました。
新型コロナウイルス感染症による混乱は日増しに強まり、年単位で長期化するとなれば、日常レベルでも人間同士の感情の摩擦やいざこざがますます起こりやすくなります。
甚大な被害をもたらした2016年の熊本地震。4月14日の前震、4月16日の本震からちょうど4年を迎えました。熊本に巨大な地震が起こること自体が想定外であったのに、その4年後に世界が、日本が、私たちの生活が感染症に脅かされることになるとは。
平穏な日常でも危機の時も、いつ、どこにいても「思いやりの道」を心掛けたいと思います。