残るべき事業は必ず残る

世の中には悪運が強くて成功したように見える人がいないでもない。しかし、人を見る時に単に「成功した」とか「失敗した」を基準にするのはそもそも誤っている。

人は、人としてなすべきことを基準として、自分の人生の道筋を決めなければならない。だから、失敗とか成功といったものは問題外だ。仮に悪運に助けられて成功した人がいようが、善人なのに運が悪くて失敗した人がいようが、それを見て失望したり、悲観したりしなくてもいい。成功や失敗というのは結局、心をこめて努力した人の身体に残るカスのようなものだ。

現代人の多くは、ただ成功とか失敗ということだけを眼中に置いて、もっと大切な「天地の道理」を見ていない。彼らは物事の本質をイノチとせず、カスの様な金銭や財宝を魂としている。人は、人としてなすべきことの達成を心掛け、自分の責任を果たして、それに満足していかなければならない。

とにかく人は誠実にひたすら努力し、自分の運命を開くのがよい。もしそれで失敗したら「自分の智力が及ばなかった」と諦めることだ。逆に成功したなら「知恵がうまく活かせた」と思えばよい。成功したにしろ、失敗したにしろ、お天道様から下された運命に任せていればよい。たとえ失敗しても勉強を続けていれば、いつかはまた、幸運に恵まれる時が来る。

人生の道筋は様々で、時には善人が悪人に負けたように見えることがある。しかし、長い目で見れば、善悪の差ははっきりと結果になって表れる。だから、成功や失敗の良し悪しを議論するよりも、まず誠実に努力することだ。そうすれば公平無私なお天道様は必ずその人に幸福を授け、運命を開いていくよう仕向けてくれる。

正しい行為の道筋は、天にある日や月のように、いつも輝いていて陰ることがない。だから、正しい行為の道筋に沿って物事を行う者は必ず栄えるし、それに逆らって物事を行う者は必ず滅ぶ。一時の成功や失敗は、長い人生における泡の様なものだ。ところがこの泡に憧れて、目の前の成功や失敗しか論ぜられない者が多いようでは、国家の成長が思いやられる。その様な浅はかな考えは一掃し、社会を生きるうえで中身のある生活をするのがよい。(P.217-220より抜粋)

『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一・著、守屋淳・訳 ちくま新書)

毎日の社会情勢がかつてなく大変なスピードで変化し、安堵と不安の入り混じる日々を過ごすことになってしまいました。ただ、どのような状況であれ時間だけは確実に流れ、時の流れに乗る人と溺れる人の個人差も激しさを増していきます。

基本的な考え方の軸がぶれないように気を付けながら、手を打つことは確実に手を打って、この難局を乗り越えましょう。

これからは感染症だけでなく、地震、噴火などの自然災害も頻発すると予測されています。
世の中に必要とされる、残るべき事業は残ります。残る事業になるよう、自らをブラッシュアップして次の波も越えなければなりません。

※「新型コロナウイルスにともなう緊急支援」情報のまとめ

この記事を書いた人

アートにゃんこ

2017年に突如生まれた謎の化け猫(?)「ゆるキャラグランプリ2020 ファイナル」に出場間に合わず。ゆるキャラの時代も終わっちまったぜ…。