「若い時の苦労は買ってでもせよ」ということわざがありますよね。
若い時の苦労は自らを成長させるということですが、実際のところどうなんでしょうか。
ここで多くは語りませんが、私は家庭の事情により幼少期から恐らく他の人よりは苦労してきました。
苦労というべきか、災難というか、まぁとにかく色々と酷かったものです。
誰だってそう思っていることでしょうが
その他にも、恐らくは人並み以上に苦労をしてきたと自負しています。
では、過去の辛い経験は買ってでもするほどのものだったのでしょうか。
それによって自分がどれほど成長したのか、反対にもしあの経験をしていなかったら
今の自分と比べて何かが劣っていたのか。
結局のところわからないのです。
もしかすると共感を得る事は難しいかもしれませんが
こういったことわざは、今の自分を正当化する為の”道具”にすぎないのではないか、と思うのです。
私は、過去の経験をした今だからこそ、別にあんな体験はしなくて済むのならしたくなかったと思います。誰にだってそう思う経験はないでしょうか。
しかし、過去の体験をしなかった自分はどこにも居ません。
わかっているのは、今まで生きてきた自分のことだけ。
それでは比べようもないのです。
あの時のあの苦労をしなかった私が存在しないのなら
苦労をした自分を労い、前向きにさせてくれる、そんな言葉なのではないかと考えます。
わざわざ苦労をする道を選ばずとも、恐らく”自分なり”で生きていれば
誰だって自分相応の厳しさに直面するのだとも思います。
自分の行い、生き方、考え方が正しいのか間違っているのか
正解をなんとするか、は自分次第なのだと考えれば
それは何かと、誰かと、比較することに意味はないのでは、と思います。
自分なりの人生を全うする。
私にとっての正解はこれです。
やはり、何かと、誰かと、比べる必要はないのです。