プロフェッショナル~人生をかける覚悟はあるか

誰だって、自分の好きな事を仕事にしたいと思いますよね。

最近は、プロゲーマーという職業が人気になりつつあるようです。

「eスポーツ」という言葉を聞いたことがある方も多いと思いますが
競技性のあるゲームタイトルを、一流のプレイヤーたちが競い合うジャンル
海外では既に一種のスポーツとして認知されており、スター選手は野球やバスケットボールのトッププレイヤーのように扱われています。
収入源はプロチームとの契約金や各地で開かれている大会の賞金などで、優秀な選手ともなれば年間数千万~億を稼いでる選手もいるようです。
もはや、プロのスポーツ選手ですね。

しかし日本では、まだまだ一般的に認知されている職業とはいえません。
ゲームやアニメ・漫画などは世界的に人気なタイトルも日本発祥のものが多いにも関わらず、これらは悪しき趣味といいますか、健全なものではないという認識の方も多いでしょう。
しかし、既に国内に数チームではありますがプロチームとして活動している団体もあり
徐々に、そのイメージは払拭されつつあるのではないかと思います。

日本人初のプロゲーマーとして知られる、梅原大吾氏は執筆活動も手掛けており
彼の著書はゲーマーにはもちろん、ゲームをしない人達からも絶大な支持を得ています。
かくいう私も、彼の考え方や生き方に憧れる部分もあります。

彼は小学生の頃から親や周りの目を忍んで、ゲームセンターに入り浸っており、格闘ゲームというジャンルの中でも、「ストリートファイター」というタイトルに熱中したそうです。
日本だけでなく、世界規模の大会でも優勝するなど、界隈では有名なプレイヤーだった彼は、28歳の時海外のゲーム周辺機器メーカーMad Catzとスポンサー契約を結び、日本人初のプロゲーマーという職業に就きました。

今でこそ、プロゲーマーの第一人者としてファンも多い梅原氏ですが
当時は、多くの苦悩や葛藤があったそうです。

「当時の日本にはプロゲーマーという職業なんてものは無く、スポンサー契約をしたからといって、生涯食っていける訳ではない。」
28歳で、つぶしのきかない年齢ということもあり、一般的には「不健全な娯楽」でしかなかったゲームで、果たして正当に評価されるのかという不安もあり一度はオファーを断ったそうです。

しかし、「大好きだったゲームを仕事にできるかもしれない。
このままこのチャンスを忘れて安定的に生きても、後々絶対に後悔するだろう。」
Mad Catzからの再三の説得もあり、梅原氏は決意します。

その後、数々の大会で好成績を収め、日本人初のプロゲーマーとして認知され
今では、彼に憧れて次々と若い人達がプロゲーマーという職業を目指しています。

梅原氏は言います。
「好きな事をやって生きて(働いて)いきたいなら、そのあとの人生全部かけるくらいのリスクを負うべきだ」と。
まだプロゲーマーという職業が確立されていなかった当時、残りの人生をかけてチャンスを掴んだ彼らしい言葉です。

以前、似た内容で「何かを得るためには何かを捨てなければならない」というコラムを書かせて頂きました。

私も彼の考え方と同じで、自分の好きな事、目指すものへ挑戦に
そのリスクを考えているようでは、成功は掴めないと思います。

実際のところ不安や恐怖心があるのは間違いないですが
人生をかける、そのくらいのリスクを追わなければ一流にはなれないのでしょう。

この記事を書いた人

M.Sugimoto

artbizのサービスチーフ。幾多のアルバイト武者修行の経験があり、話題をふれば「あー、あの業界はですね」と現場の裏側を大体知っている。次から次へとやってくる業務に押しつぶされそうになりながらも、日々artbizのサービスとお客様対応の品質向上に熱意を注いでいる。NBA(プロバスケ)観戦が趣味と。