自分と仕事。その関係は、対等であるべきだと思うのです。
それは、内容に見合った成果をあげなければならない、ということであり
それは、内容に見合った報酬を得なければならない、ということです。
これは、経営者の立場からも労働者の立場からも常に考えていかなければなりません。
企業に勤めている多くの人、会社を経営している人からすれば
そんなことは、「綺麗事」そう思う人がほとんどではないでしょうか。
ですが、だからといってこの一点を軽んじていけません。
ひとたびこの歯車が狂ってしまうと、経営者、労働者のモチベーション
仕事の効率や成果あらゆる部分に悪影響が出てきます。
しかしながら、みなが自分の利益を優先してしまうのは当たり前といえば当たり前。
例えば経営者と労働者、お互いの立場の違いは、どこまで追求してもその両方を満足させる関係でいつづけることは不可能だとも思います。
矛盾をはらんではいますが、だからこそ仕事とは対等であろうとしつづけなければなりません。
全てがそこに向かうことで、よりよい内容、よりよい報酬へと導かれていくはずですし
そこがしっかりとリンクしていない会社は、とても健全な状態とは言えません。
経営者にとっては、会社の利益を最優先に、しかしその利益を生み出す労働者のメンテナンスにも気を配らなければなりません。
労働者にとっては、会社の利益の先に、自身の利益を見つめて真摯に仕事に向き合わなければなりません。
当然、これだけではありませんが、どちらかがそれを疎かにすればこの関係は崩壊します。
この「綺麗事」を会社の規模や収益で成り立つものだと考えている人が多いのも事実。
しかし、「会社」というかたちを成している以上、規模や収益にかかわらず目指していくべきだと思うのです。
対等、それは個人の価値観でもあります。
個人の価値観の上になりたつ曖昧なものです。
日本には多くの企業があり、多くの労働者がいます。
それぞれが違う人間である以上、価値観もまったく一緒というわけではありませんから「対等」に明確な定義は存在しないのです。
だからこそ、”自分”という価値観の中で、対等を目指していかなければなりません。
その上では、価値観の合わない環境も当然あることでしょう。
経営者は労働者へその価値観を説き、場合によっては人材を入れ替えれるもよし。
労働者は、意見を述べるなり、他の会社へ移るもよし。
“自分”にとっての仕事への価値観。
自分と仕事との関係において、対等であろうとし続けること。対等であり続けようとすること。
ここを妥協していては、良いもの生み出すことも、良い生活を送ることも不可能だと思います。