私の中学校時代の担任の先生が、ご自身の「座右の銘」であり
生徒たちへ、人生の糧にしてほしいと願いこの言葉を黒板の上に貼っていました。
当時、あるコトがキッカケで先生に叱られたことがあり
その時に、「この言葉の意味がわかるか」と問いかけられたことがあります。
私は、「努力をしたものは報われる」だから努力を続けなさい。
という意味だと解釈し、先生にそう答えました。
先生は、苦笑いしながら半分正解で、半分間違いだと仰ったのを覚えています。
そのちょっと小馬鹿にしたような答え方に、ムキになった私は
「半分ってどう意味だ」と返しましたが
「これは誰かに言い聞かされて理解できるものではない、あと10年くらいすれば分かるだろう」
と言われ、結局教えてはもらえませんでした。
あれから10年少々が経ちますが、今ならあの時の答えの意味が少しわかるような気がします。
やはり、この厳しい世の中で努力のすべてが報われる事などありません。
自分が十分だと判断した努力は、他人から見れば些細なモノに過ぎない事も多々あります。
「努力したって何にもならねえよ。」
「勉強とか役に立たないし、そんなことやったって無駄だろ」
思い返せば、当時の私は先生にこんなことを言って
あの言葉の意味を問いかけられたのでした。
結局、学生時代に勉強はしてきませんでしたが
仕事においても、趣味にしても、何かしらの努力はしてきました。
そして、今までの経験上、報われなかったことのほうが多いです。
その時は報われないことに嫌気がさして、無駄な事をした、努力を(時間を使ったことを)後悔もしました。
しかし、あの時の報われなかった努力が思わぬところで役に立った、という経験もしてきました。
それも、1年越しであり、5年越しに全く関係の無いところで。
それに気づいたときに、つい嬉しくなるのです。
あの時の時間は、努力は、無駄ではなかったのだと気づき
思い描いたかたちではないにしろ、まるで報われたような気分になるのです。
先日、風のうわさで、この先生が亡くなられたことを知りました。
その訃報を聞いたときに、この言葉を思い出したので
この度、コラムとして書かせて頂きました。
以前から似たような内容のコラムを以前に書かせて頂いているあたり
まるで先生に「言った通りだろう?」と言われている気がして少し面白く感じます。
『努力は君を裏切らない』
なんとも、素晴らしい言葉だと思い知ります。
しかし、私はまだ、恐らく先生の仰られた「半分正解」の意味を
全て理解した訳ではないのかもしれません。
その意味を知るためにも、これからも努力を続けたいと思います。